関西の豚

笑いについて考えてみた

フリとオチ

この前、緊張と緩和はフリとオチって考えに落ち着いたんで、次はフリとオチについて考えてみようかと。

フリとオチはまああれですね。

 

〇〇やけど✕✕

 

ってやつ。

ダチョウさんの押すなよ、押すなよがパッと思い浮かぶ。

押すなって言われてんねんけど押す。

 

モノボケとかも全部そうかな。

もともと別用途というか本用途があるのにそう使うんかっていう。

出オチとかも、最初やのにってフリになるか。

麒麟の川島さんの「麒麟です」とかも芸人やのに格好いいっていうフリオチって言えるんじゃなかろうか。

笑いを重ねる天丼も、もう一回やったのにってフリか。

 

フリは話をふるの「ふる」の形式の一種かな。

〇〇やけど✕✕ってのは要するに当たり前があって、それから外れた馬鹿なことをするってこと。

個人的に笑いはずっと馬鹿が大事やと思ってるから一致してる。

一致させにいってるんかもしれんけど。

 

当たり前のことをしてても笑いはおきひん。

当然やな当たり前のことでずっと笑ってるなら人間ずっと笑ってなあかん。

ワンピースの和の国のおこぼれ町みたいになるんやろうか。

人間の習性の慣れてきにも難しそう。

 

サラリーマンが一生懸命働いても笑いはおきひん。

熱血物語の感動はあるかもしれんけど笑いにはならん。

でも、サラリーマンがおっちょこちょいで一生懸命やのにミスしまくってたり、

ふざけまくってたら笑いになる。

世代じゃないし詳しくは分からんけど、

ミスタービーンとかチャップリンはそういう笑いやんな。

 

サラリーマンは真面目にしっかり働くっていう大前提のフリがあって、

ふざけた動きが当たり前じゃないってオチで笑いになる。

一般的な想像を裏切ってそんなことするんってことで笑わせる。

 

 

ただ、オタクネタとか一発ギャグが、ちょっとしっくりこうへん。

オタクネタで笑うのは、オタク以外に誰が理解できんねんっていうちょっとした優越感とか矮小感で笑うと思うんやけど。

あ、そっか。

これも誰も分からへんのにっていうのがフリになるんか。

そうすると一発ギャグも普通はそんなことせんっていう全フリになるんか。

じゃあ、フリとオチで説明できるな。

 

フリとオチからは、ちょっとズレるけど理解って大事やと思う。

大前提とかの理解ができてないってので笑えない異文化の笑いはあると思う。

ブラックジョークとか風刺とか。

さっきのオタクネタも一般人は面白くないやろうし。

 

理解できないと笑いはおきひん。

想定してる想像からの裏切りがあって笑いが生まれる。

ただ、フリと同様にオチにも理解は必要で、オチが理解できんものにはシュールとか意味分からんとか言われるんやろうな。

オチが奇想天外すぎなのはスベる。

 

そういう意味で理解は「緊張と緩和」の緩和に重なる。

理解できひんことは怖い。緊張が解けない。怖いから笑えない。

当たり前じゃないことせなあかんけど、見ている人が理解できないと笑えない。

これは「驚きと理解」って言うのはどうやろう。

 

なんで今回の結論としては

 

緊張と緩和⇔フリとオチ⇔驚きと理解

 

 

関係ないけど、昔Twitterで漫画家のゆうきまさみ先生か椎名高志先生が、漫画の描き方の話されてて、

そこで読者にある程度ストーリーを予想できなあかんみたいなことを仰ってた記憶がある。予想は裏切るけど、ある程度ストーリーを予想させるから緊張感が生まれる。

話が奇想天外すぎると緊張感が生まれないみたいな話やったと思う。

なんかちょっと似てる気がする。